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ミカンうめー!!!&東京都

冬と言えば果物。
秋に実った果物をたくさん食べる。

そう!我が家にミカンの段ボールがきた!!!

(生協で買った)

おいしすぎるわ!!
甘酸っぱさがほどよいみかん。
当たりだわ。

ちなみに一番好きな果物はりんご。
特に「サンふじ」がすきです。
あのシャリシャリ感と甘みがすげーーーー!!!!!

青森の近くに住んでて良かった。
長野の近くでも良かったな。

ミカンといえば「熊本ミカン」!
南国風味の独特の甘みが良い!
和歌山と愛媛も好きですよ!!

でもなぜかフルーチェが食べられない。
なんで?って思う人が多いと思うが、ワシ、ヨーグルト苦手なのね。
食感が似ててどうも・・・・。


あと、トマト嫌いだけどケチャップはおk。
この年で好き嫌いってのも恥ずかしい・・・のかな?





先日東京都からの一日のアクセス数が78でした。


何があったの?

被災地・閖上地区に行ってきたpart3

橋を渡り、閖上三丁目に入る。

周りには何もない。10メートルほど背後に携帯電話で写真を撮っている女性以外、
人影すらなかった。車道には数台車が通っていた。

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▲三丁目付近で流失を免れた数少ない建物。元は市営住宅だった。
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▲東方向。更地ではない。元は住宅があり、多くの人達が生活を営んでいたのだ。
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▲津波で大きな被害を受けた老人ホームがよく見えた。
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▲市営住宅を正面から望む。このあたりはどうやら三階部分まで浸水したようだ。


横断歩道の跡があった。そこを渡り、閖上四丁目に入る。


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▲日和山神社。ここには震災の慰霊碑があった。
 路上駐車されていた車は遺族の車や報道陣の車。
 ここには見られないが、違う場所には千葉ナンバーの観光バスが。
 おそらく被災地を見に来た人達だろう。

閖上地区を一望できたこの神社には一目見ようと大勢の人が来たようだ。
私はこの神社に入った。


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▲日和山より、北東方向を望む。閖上漁港があった場所が見えた。
 難を逃れた船が停泊していた。手前の砂利のような物はすべてがれき。
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▲日和山より、西方向。奥の方向に見えるのは、閖上公民館、中学校など、
 さっきまでいた一丁目や二丁目の建物。
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▲警視庁のパトカー。このほかにも、千葉県警の車両もあった。
 現在も県内では多くの警察官が活動している。
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▲日和山にあった墓標。多くのお供え物があった。
 奥に見えるのは北北東にある四丁目の中心部。
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▲貞山堀の水門が見えた。
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▲報道陣。ドキュメンタリーの撮影か、ニュースの映像か。奥に見えるのは東禅寺。
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▲流失を免れた貞山堀から西の建物群。右から、閖上公民館、その奥が閖上大橋(渡ってきた橋)、民家、葬儀会社ビル、閖上消防署、閖上出張所。写真のずっと奥の方をよく見ると、仙台市街地が見える。

日和山をあとにし、貞山堀に沿って南に進む。

ここからはしばらく写真のみ。


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▲信じられないかもしれないが、向こうにあるのは丘ではなく、すべてがれき。
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貞山堀沿いに進んでいくと、自転車に乗ったおじいさんがこちらに向かって走っていた。

「こんにちは」
「こんにちは」

自然と挨拶をする。
すると、すれ違った数秒後に、自転車のブレーキの音がした。
振り返ると、そのおじいさんは、流された家の跡地をじっと見つめていた。

きっと、そのおじいさんの家の跡地だったと思われる。

しばらく歩いてまた振り返っても、おじいさんはずっと、土台だけが残った家を見つめていた。


道のりに進むと橋があった。
このまま南進して仙台空港をめざした。
DSCF1661.jpg
▲津波を受けて地面がえぐれていた。この橋を渡ると隣の地区。


橋を渡っても被害の爪痕はあった。
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▲ひっくり返った漁船。
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▲一見違和感がないが、これは漁港の車止め。海に車が落ちないようにしていた物と思われる。
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▲がれきを運ぶダンプにかいてある「まけるな閖上」の文字。
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▲田んぼに転がっていた丸裸の松。防砂林の一部と思われる。


そして、仙台空港に到着。
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津波襲来時はこのような状況だった。↓
 
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このあと、私は電車に乗り、仙台へと戻った。



追記


仙台に戻って昼食をとるために繁華街へと行った。
アーケードに入り、ふと思った。


「何故10キロも離れていないのにここは平穏なんだ?」


今、仙台市中心部は震災前のように活気づいている。
ところが、沿岸部には家すら残っていない場所がある。

ファストフード店にはいると友人としゃべっている人がいた。
横断歩道を渡りつつ、携帯電話で通話をしている人がいた。
コンビニで普通に買い物をしている人がいた。

日常の格差

そんな言葉が頭の中に浮かんだ。

今、こうしてパソコンの前にいる自分がいた。

大震災は大勢の人の日常を奪った。
私は震災前の日常を取り戻している。


これから私はどう生きていくのか。

そんなことをこれから考えたい。



それと




軽々しく死にたいとか消えろとか言ってはいけないんだ。


被災地・閖上地区に行った。part2

閖上中学校から東方面に向かう。
貞山堀をめざした。

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▲おそらく民家のガレージだと思う。
 以前は住宅街だった閖上一丁目付近。
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▲閖上一丁目の北側はかろうじて家が原形をとどめていた。
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▲閖上公民館。名取市から一時避難場所に指定されていたようだ。
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▲重機によるがれき撤去はまだ続いていた。
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▲閖上公民館の向かいにあったビル。一階部分は流失していた。
 元は葬儀関係の会社のビルだったようだ。
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▲一丁目の東側にある閖上二丁目方向。
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▲貞山堀の水門。ここの水門は津波の時はしめられていたようだが、
 今回の津波はこの水門をも超えた。
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▲二丁目にある東禅寺というお寺。震災前は墓地があったらしいが、
 津波によって墓石のすべては流された。
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▲おそらく街灯だった。これ以外もすべて根本からポッキリと折れていた。
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▲名取消防署閖上出張所。震災時は上にある防災無線で避難を呼びかけたのだろうか?
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▲津波で多くの犠牲者が出た老人ホーム。閖上地区の南の方にある。
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▲写真右端に見えるのがこの老人ホーム。
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▲西方向。奥に見える山は奥羽山脈。確認しづらいが、右奥には仙台の高層ビル群が見えた。
   

ここから先はしばらく写真のみ。

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道のりに進んでいくと、貞山堀に着いた。

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▲貞山堀の橋。橋の両端は流されていた。
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▲脇の道は崩壊していた。
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▲貞山堀の北方向。奥には先ほどの水門があった。
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▲昭和三十三年完成と書いてある。



貞山堀を越え、橋を渡り、三丁目に足を踏み入れた。



続く。

被災地・閖上地区に行った。part1

昨日、部活も学校も休みなので、被災地、名取市閖上地区に行ってきました。
7ヶ月以上たってだいぶ被災地のがれきも無くなったと聞き、
混乱も収まってきたので行ってきました。

(震災の半月後にも被災地には行きましたが、現況が気になったので、今回行ってきました。)
興味本意ではなく、野次馬根性でもなく、ただ、テレビだけで見ていては本当の実情が知れないと思ったからです。





午前8時。
市営バス木町通り車庫。

(ここからは写真と説明。)
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▲曇りか晴れかよく分からない天気。
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▲市営バスは震災前には閖上行きのバスがあったが、現在は折り返し運転。
 荒浜地区のバスも折り返し運転中。
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▲バスが来る。竹野花は閖上から名取川を挟んだ北側にある地区。
 ここにも津波が押し寄せたらしい。


交通局から終点竹野花までおよそ30分。
途中には仮設住宅が建ち並んだ地区もあった。
そして終点、竹野花に到着。
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▲竹野花のバス停近くで撮影。奥に見えるのは防砂林。
 津波の影響でぽつぽつとしか生えていない。
 写真手前に落ちているのは流されてきたガスボンベ。
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▲津波で流された車。ほんの一部。
 この車は車と分かるが、鉄のスクラップのようになったぐちゃぐちゃの車もあった。


20分ほど歩くと、閖上大橋があった。名取川を越えると閖上地区に着いた。
一番最初にあったのは、歩道橋だった。



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▲歩道橋から東(海方向)を撮影。写真右側にある建物は閖上中学校。
 震災前は住宅や商店が建ち並ぶメインストリートだったようだ。
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▲北東方向を見ると津波被害を免れた家があった。
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▲歩道に倒れていた標識。水は標識までをも倒した。
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▲陸地にあるはずのない漁船があった。
 撮影場所は海から2~3キロ内陸だ。
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▲閖上中学校の校舎。生徒も亡くなったと聞いた。



献花台が見えたので、閖上中学校の正門へ行くことにした。


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▲正門へ続く道はガードレールがぐちゃぐちゃになっていた。
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▲閖上中学校の東側はもうほとんど建物はない。
 かろうじて残っていたのは鉄筋コンクリートの建物のみ。
 左側に見える重機はがれき処理をしていた。
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▲中学校周辺で建っていた建物はこの民家を合わせて数軒。
 見た限りではこの周辺は最低でも一階部分まで浸水したようだ。
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▲中学校の時計は震災発生時の時を刻んだまま止まっていた。






献花台に飲み物をお供えした。
私は閖上中学校をあとにし、海側の貞山堀をめざした。









続く。



 

FMワシブログ第四回放送延期のお知らせ

ようつべの動きがクソ遅いので今日中にアップできるか分かりません。
ごめんなさい。


アップロードできたら明日詳細を更新します。
   キタ━(゚∀゚)━!     あなたの来客ナンバーは
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しゅーへー

Author:しゅーへー
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東北地方の田舎在住。
将来の夢:声を使ったお仕事
1997年9月20日生まれO型。

某県立高校1年1組。
部活は演劇部。

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