被災地・閖上地区に行った。part1
昨日、部活も学校も休みなので、被災地、名取市閖上地区に行ってきました。
7ヶ月以上たってだいぶ被災地のがれきも無くなったと聞き、
混乱も収まってきたので行ってきました。
(震災の半月後にも被災地には行きましたが、現況が気になったので、今回行ってきました。)
興味本意ではなく、野次馬根性でもなく、ただ、テレビだけで見ていては本当の実情が知れないと思ったからです。
午前8時。
市営バス木町通り車庫。
(ここからは写真と説明。)

▲曇りか晴れかよく分からない天気。

▲市営バスは震災前には閖上行きのバスがあったが、現在は折り返し運転。
荒浜地区のバスも折り返し運転中。

▲バスが来る。竹野花は閖上から名取川を挟んだ北側にある地区。
ここにも津波が押し寄せたらしい。
交通局から終点竹野花までおよそ30分。
途中には仮設住宅が建ち並んだ地区もあった。
そして終点、竹野花に到着。

▲竹野花のバス停近くで撮影。奥に見えるのは防砂林。
津波の影響でぽつぽつとしか生えていない。
写真手前に落ちているのは流されてきたガスボンベ。

▲津波で流された車。ほんの一部。
この車は車と分かるが、鉄のスクラップのようになったぐちゃぐちゃの車もあった。
20分ほど歩くと、閖上大橋があった。名取川を越えると閖上地区に着いた。
一番最初にあったのは、歩道橋だった。

▲歩道橋から東(海方向)を撮影。写真右側にある建物は閖上中学校。
震災前は住宅や商店が建ち並ぶメインストリートだったようだ。

▲北東方向を見ると津波被害を免れた家があった。

▲歩道に倒れていた標識。水は標識までをも倒した。

▲陸地にあるはずのない漁船があった。
撮影場所は海から2~3キロ内陸だ。

▲閖上中学校の校舎。生徒も亡くなったと聞いた。
献花台が見えたので、閖上中学校の正門へ行くことにした。

▲正門へ続く道はガードレールがぐちゃぐちゃになっていた。

▲閖上中学校の東側はもうほとんど建物はない。
かろうじて残っていたのは鉄筋コンクリートの建物のみ。
左側に見える重機はがれき処理をしていた。

▲中学校周辺で建っていた建物はこの民家を合わせて数軒。
見た限りではこの周辺は最低でも一階部分まで浸水したようだ。

▲中学校の時計は震災発生時の時を刻んだまま止まっていた。
献花台に飲み物をお供えした。
私は閖上中学校をあとにし、海側の貞山堀をめざした。
続く。
7ヶ月以上たってだいぶ被災地のがれきも無くなったと聞き、
混乱も収まってきたので行ってきました。
(震災の半月後にも被災地には行きましたが、現況が気になったので、今回行ってきました。)
興味本意ではなく、野次馬根性でもなく、ただ、テレビだけで見ていては本当の実情が知れないと思ったからです。
午前8時。
市営バス木町通り車庫。
(ここからは写真と説明。)

▲曇りか晴れかよく分からない天気。

▲市営バスは震災前には閖上行きのバスがあったが、現在は折り返し運転。
荒浜地区のバスも折り返し運転中。

▲バスが来る。竹野花は閖上から名取川を挟んだ北側にある地区。
ここにも津波が押し寄せたらしい。
交通局から終点竹野花までおよそ30分。
途中には仮設住宅が建ち並んだ地区もあった。
そして終点、竹野花に到着。

▲竹野花のバス停近くで撮影。奥に見えるのは防砂林。
津波の影響でぽつぽつとしか生えていない。
写真手前に落ちているのは流されてきたガスボンベ。

▲津波で流された車。ほんの一部。
この車は車と分かるが、鉄のスクラップのようになったぐちゃぐちゃの車もあった。
20分ほど歩くと、閖上大橋があった。名取川を越えると閖上地区に着いた。
一番最初にあったのは、歩道橋だった。

▲歩道橋から東(海方向)を撮影。写真右側にある建物は閖上中学校。
震災前は住宅や商店が建ち並ぶメインストリートだったようだ。

▲北東方向を見ると津波被害を免れた家があった。

▲歩道に倒れていた標識。水は標識までをも倒した。

▲陸地にあるはずのない漁船があった。
撮影場所は海から2~3キロ内陸だ。

▲閖上中学校の校舎。生徒も亡くなったと聞いた。
献花台が見えたので、閖上中学校の正門へ行くことにした。

▲正門へ続く道はガードレールがぐちゃぐちゃになっていた。

▲閖上中学校の東側はもうほとんど建物はない。
かろうじて残っていたのは鉄筋コンクリートの建物のみ。
左側に見える重機はがれき処理をしていた。

▲中学校周辺で建っていた建物はこの民家を合わせて数軒。
見た限りではこの周辺は最低でも一階部分まで浸水したようだ。

▲中学校の時計は震災発生時の時を刻んだまま止まっていた。
献花台に飲み物をお供えした。
私は閖上中学校をあとにし、海側の貞山堀をめざした。
続く。
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