被災地・閖上地区に行った。part2
閖上中学校から東方面に向かう。
貞山堀をめざした。

▲おそらく民家のガレージだと思う。
以前は住宅街だった閖上一丁目付近。

▲閖上一丁目の北側はかろうじて家が原形をとどめていた。

▲閖上公民館。名取市から一時避難場所に指定されていたようだ。


▲重機によるがれき撤去はまだ続いていた。

▲閖上公民館の向かいにあったビル。一階部分は流失していた。
元は葬儀関係の会社のビルだったようだ。

▲一丁目の東側にある閖上二丁目方向。

▲貞山堀の水門。ここの水門は津波の時はしめられていたようだが、
今回の津波はこの水門をも超えた。

▲二丁目にある東禅寺というお寺。震災前は墓地があったらしいが、
津波によって墓石のすべては流された。

▲おそらく街灯だった。これ以外もすべて根本からポッキリと折れていた。

▲名取消防署閖上出張所。震災時は上にある防災無線で避難を呼びかけたのだろうか?

▲津波で多くの犠牲者が出た老人ホーム。閖上地区の南の方にある。

▲写真右端に見えるのがこの老人ホーム。

▲西方向。奥に見える山は奥羽山脈。確認しづらいが、右奥には仙台の高層ビル群が見えた。
ここから先はしばらく写真のみ。







道のりに進んでいくと、貞山堀に着いた。

▲貞山堀の橋。橋の両端は流されていた。

▲脇の道は崩壊していた。

▲貞山堀の北方向。奥には先ほどの水門があった。

▲昭和三十三年完成と書いてある。
貞山堀を越え、橋を渡り、三丁目に足を踏み入れた。
続く。
貞山堀をめざした。

▲おそらく民家のガレージだと思う。
以前は住宅街だった閖上一丁目付近。

▲閖上一丁目の北側はかろうじて家が原形をとどめていた。

▲閖上公民館。名取市から一時避難場所に指定されていたようだ。


▲重機によるがれき撤去はまだ続いていた。

▲閖上公民館の向かいにあったビル。一階部分は流失していた。
元は葬儀関係の会社のビルだったようだ。

▲一丁目の東側にある閖上二丁目方向。

▲貞山堀の水門。ここの水門は津波の時はしめられていたようだが、
今回の津波はこの水門をも超えた。

▲二丁目にある東禅寺というお寺。震災前は墓地があったらしいが、
津波によって墓石のすべては流された。

▲おそらく街灯だった。これ以外もすべて根本からポッキリと折れていた。

▲名取消防署閖上出張所。震災時は上にある防災無線で避難を呼びかけたのだろうか?

▲津波で多くの犠牲者が出た老人ホーム。閖上地区の南の方にある。

▲写真右端に見えるのがこの老人ホーム。

▲西方向。奥に見える山は奥羽山脈。確認しづらいが、右奥には仙台の高層ビル群が見えた。
ここから先はしばらく写真のみ。







道のりに進んでいくと、貞山堀に着いた。

▲貞山堀の橋。橋の両端は流されていた。

▲脇の道は崩壊していた。

▲貞山堀の北方向。奥には先ほどの水門があった。

▲昭和三十三年完成と書いてある。
貞山堀を越え、橋を渡り、三丁目に足を踏み入れた。
続く。
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