ニヒリズム
そんなとき、自分のことを指す言葉を見つけた。
(果たして本当にそうなのかは他人しか決められないのだが・・・)
『ニヒリズム』
・・・上手く説明できないので、某ウィキペディアから引用。
ニヒリズムあるいは虚無主義とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。名称はラテン語の Nihil (無)に由来する。
ニヒリストは概して以下の論点を強く主張している。
上位の支配者、創造主の存在を示す理にかなう証拠はない、「真なる道徳」というものは存在しない、世俗的な倫理は実現不可能。よって我々の存在には結局真理はなく、好まれる行動など存在しない。
ニヒリズムという語は、1733年にFriedrich Lebrecht Goetzがドイツ語(Nihilismus)で用いている。連続論に対置された原子論の意味だった。今まで最高の価値と人々がみなし、目的としていたものが無価値となった歴史的事態のことを言うときが多い。 心理学者を自認するニーチェによれば、ニヒリズムは上記のような「精神状態」で、2080年ごろまで続くことになるが、このニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。
1.すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
2.何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、受動的ニヒリズム)。
ニーチェは前者を肯定し、永遠回帰の思想の下、自らを創造的に展開していく、鷹の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」になることをすすめた。社会的には、どんな事態でも傍観する姿勢から、ある種の攻撃性があると考える。キリスト教をニーチェがニヒリスティックだとして批判するときは、現世を無化矮小化しているという意味での、ニーチェ固有の語法でのニヒリズムを見ている。
ハイデガーによれば、ニヒリズムの温床は、現実や現世からの超越を主張する形而上学的立場だとされる。したがって「ニヒリズムの超克」という視点は、「超克」ということにおいて、それ自身がニヒリズムとされ、ニヒリズムの克服を主張したニーチェは「最後のニヒリスト」と見なされる。「ニーチェの最も過激な門人」と評されるエルンスト・ユンガーは、現代世界は、ニヒリズムの境界を通過したと言い、ハイデガーとニヒリズム論を交換している。
ようするに・・・。
この世の一切は無意味であるとする考え方。
だから、
自分が確立した行動=個性を強調させようとする行動
・・・をする考え方。
厨二臭いですが・・・。
なんか世界がむなしくなる考えだそうです。
病んでるのかな。ワシ。
まあ、そんなわけで比較的ニヒリズムなワシらしい。