震災から2年
東日本大震災から今日で2年。
2年前の今頃は停電の中、非常食を食べていたと思います。
今日、私は仙台市の沿岸部にある荒浜地区に行ってきました。
荒浜地区に来るのは震災後、3回目。

今日も風が強く、自転車で行くのは大変でした。
私の家(仙台市の内陸の方)からは自転車で2時間くらい。
ここには小学校の3階くらいまでの高さの津波が来ていたそうです。

昨年の3月11日にもここに来ましたが、
今日行ったときには建物の解体が進んでいて、
建造物は小学校と民家が数軒建っていたくらいでした。
あとは田んぼの跡と、家の土台だけ。
そして、仮設のコンビニがありました。
そこで昼食を買い、辺りを見回してみる。

▲荒浜地区の小学校

そして遠くには、
何事もなかったかのような日常が広がっている、
仙台市中心部の高層ビル群・・・。

2年経った今も、荒浜地区だけは、
震災の時から時計は進んでいないように見えました。
そして今日は合同慰霊があったようです。

私は地元住民ではないので参加は出来ません。
しかし、荒浜地区の人たちも、同じ仙台市民なのです。
内陸と沿岸。それだけの違いで、人々の生活と日常が大きく異なる現状。
今、私は普通の生活を送っています。
自宅があり、家族がいて、満足な食事が取れて。
当たり前のことが当たり前じゃない。
震災後、そんな言葉が日本中に響きました。
まさにその通りだと思います。現に、いまの東北・関東沿岸がそれです。
私はもう、震災直後の記憶はほとんどありません。
しかし、沿岸部の方々はあの3月11日を忘れることなく、
この世界で生きて、事切れていくのだと思います。
同じ時間を生きていても、同じ街で生きていても。
3月11日という一日に込める思いは大きく違う。
そんな中で2年目を迎えました。
宮城県に生まれてこなかったら、
あの日大きな揺れを経験することもなく一生を終えていました。
震災の中を生きた私は、そのときのこと鮮明に覚えていたい。
だから私はブログを始めたのかもしれません。
もしかすると、東日本大震災がブログの原点と行っても過言では無いと思います。
東北地方、関東地方に住んでいない皆さん。
3月11日という日を、少しでも記憶に入れて、
その日の午後2時46分に祈りを捧げてください。
被災者でなく、「当事者」でしかない私に言えることは、それぐらいです。
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コメント
No title
Re:Ivory
毎日が奇跡なんだな。
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なぜかというと、毎日生きられることを幸せだと思っているから。
でも被災地の方々は手探りで明日を探さなければならないのだろうか。
俺は決して幸せを当たり前には感じない。